鈴虫を飼う

「鈴虫を飼う」は1991年11月に発売された2ndアルバム「名前をつけてやる」に収録されました。

作詞:草野正宗、作曲:三輪徹也、編曲:スピッツ

天使から10個預かって

小さなハネちょっとひろがって

膝を抱えながら 色のない窓をながめつつ

もう一度会いたいな あのときのままの真面目顔

「天使から10個預かった」ものとは何でしょうか。「小さなハネちょっとひろがって」とあるので、タイトルにある「鈴虫」だと思われます。天使は神の使いなので、神様からのメッセージといったところでしょうか。鈴虫は羽をこすり合わせて鳴きますから、先ほどのハネがちょっとひろがるというのは少し鳴いている様子を表しているのかもしれません。

「膝を抱える」とは一人で寂しくしていることや、考え込んでいる様を言います。

「色のない窓」とは、無彩色(黒と白、その中間のグレーの色味がなく明度だけの尺度しか持たない色)のこと、ここではのちに出てきますが「夜」なので”黒”ということでしょう。窓に映る自分の顔をながめて「あのときのままの真面目顔」に「もう一度会いたいな」と言っています。

鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋

鈴虫の夜 一人きりゆめうつつの部屋

鈴虫は鳴き声を鑑賞する虫で、ここでは、鈴虫が鳴き、ゆめうつつにぼんやりとして、一人きりで部屋にいる、というのですが、まだよく意味がわからないので読み進めたいと思います。

前うしろ前 転がった

なぜだろうまだ気になった

乗り換えする駅で汚れた便器に腰かがめ

そいつが言うように 見つけた穴から抜け出して

「前うしろ前 転がった」ここからイメージ出来るのは、他の色々なことをしてみた、という感じでしょうか。それでも、「まだ」「なぜか気になる」何が?先ほど出てきた「あのとき」に関連することかもしれません。

「乗り換えする駅で~」のくだりは情景が鮮明に浮かんでくるような表現ですね。

考え事をしている時ってなんとなく寄り道をしたりするものです、駅の清潔でないトイレに「腰をかがめる」様子からもやはり何かを考え込んでいるように思えます。その中で、「そいつ」心の中で対話をしていたもう一人の自分が言うように「転がって」いろんなことをしてみて「見つけた穴」から「抜け出す」ことにしたのでしょう。

鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋

鈴虫の夜 一人きりゆめうつつの部屋

そして今、鈴虫の夜を一人きりでゆめうつつに過ごしています。

油で黒ずんだ 舗道に へばりついたガムのように

慣らされていく日々にだらしなく笑う俺もいて

「油の~」からも目の前に鮮やかに浮かんでくるような表現ですね。

「抜け出す」ことにしたけれども、ただ、望んだ場所や状況ではないけれどそこにずっといて、そんな日々にすっかり慣れて、へらへらと「だらしなく」笑っている自分がいることも確か。

鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋

鈴虫の夜 のどぼとけ揺れて

鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋

鈴虫の夜 一人きりゆめうつつの部屋 

 「のどぼとけ揺れて」この表現から、部屋で鈴虫の鳴き声を聞いているのではなく、鈴虫が鳴くように自分自身が歌っていることがわかりました。実際に鈴虫を飼いそれが鳴いているわけではなく、自身が歌うことを「鈴虫の夜」と表現していたのですね。

 

マサムネさんは、アマチュアの頃、ブルーハーツの音楽を聴いて、自分のやりたい音楽が、自分の想像のさらに上のレベルで既に実現されてしまっていることを知り、もう自分がこれから音楽を続けても意味は無いのだと意気消沈し、バンド活動も休止して、音楽そのものから離れていたことがありました。いわゆる、「ブルーハーツショック」と呼ばれるものです。

歌詞を読んでいるうちに、もしかしたら、この「鈴虫を飼う」はその頃の心境を歌ったものかもしれないと思いました。

 

このように考えますと、「天使から預かった鈴虫」とは音楽をやりたいという気持ちを神様から授かるように自然に持ったこと、「ちょっと膨らんだ」とは少し音楽活動をしたこと、「もう一度会いたいあのときのままの真面目顔」とはその頃の音楽に対する気持ちは真面目で真剣でありその心の状態に戻りたいということ、「前うしろ前転がった」とは音楽でない他のことをやってみたこと、「なぜだろうまだ気になった」とは、それでもやっぱりどこかで音楽が気になっていたこと、そして、自問自答して、今の生活から抜けて音楽をまたやろうと思ったこと、ただ今の自分は音楽から離れた現在の生活にすっかり慣れてしまっているし、バンドもやめて一人きり、本当に戻れるのだろうか、という思いも同時に抱えている…

そんな複雑な心の内を歌っている歌詞のように思いました。

 

「天使から預かる」という表現に、音楽をするということは本当にナチュラルに自分の中に存在しているということなのかなと感じました。今でも「自分に与えられた役割のように思って続ける」とおっしゃっていることにつながるように思います。

また、タイトルの「鈴虫を飼う」とは、常に心の中に音楽への想いを持ち続けていることを表しているのかもしれませんね。