魔女旅に出る

魔女旅に出る」は1991年11月に発売された2ndアルバム「名前をつけてやる」に収録されました。

作詞・作曲:草野正宗、編曲:スピッツオーケストレーション:長谷川智樹

ほら苺の味に似てるよ

もう迷うこともない

僕は一人いのりながら

旅立つ君を見てるよ

手を離したならすぐ

猫の顔でうたってやる

「ほら苺の味に似てるよ」印象的な歌いだしですね。私は「苺」から、二人は恋人同士で、最後のキスを交わしているのかなと感じました。”二人の関係はこの瞬間のキスも苺のような味がするんだから大丈夫だよ”と僕が君に諭しているように聞こえます。だからお互いに「もう迷うこともない」と。

「苺」の一文字で二人の関係性をさりげなく説明しているところが、マサムネさんらしく、とても上手いなと感じます。

続く「一人」という漢字で、新しい生活に向かって出発する「君」の「旅立ち」は「僕」が「独り」「孤り」になるのではないこと、”ただ数字としての一人”である、ということがわかりますね。

この曲のタイトル「魔女旅に出る」からもわかるように、君は「魔女」として描かれています。そして、「猫」は古来から魔女のパートナーと言われています(魔女の宅急便ハロウィーンの魔女も猫を連れていますよね)。ですから、「手を離したらすぐ」「猫の顔でうたってやる」とは”君が僕の手を離れたらすぐに僕は君のパートナーだと宣言する、心は離れないよ、だから安心して、”と言っているようです。

”僕たちはとても良い関係のままだし、僕は君の幸せをいのりながらずっと見ている、自分たちは離れても一緒なんだよ”

不安がる「君」を安心させる言葉がずらりと並びます。その内容もなんとも優しいですよね、涙が出そうです。

ラララ 泣かないで

ラララ 行かなくちゃ

いつでもここにいるからね

それでも、「君」は離れることが不安でつらいのでしょう。泣きそうで、あるいは泣いてしまって、行くのをためらっています。そこに「いつでもここにいるからね」”僕の心は変わらずずっと君の側にいるからね”とまた「君」を安心させる言葉を掛けていますね。”いつでも帰ってこられるよ”という意味も込めているのでしょうか。

今 ガラスの星が消えても

空高く書いた文字

いつか君を照らすだろう

歪んだ鏡の向こうに

忘れてた道がある

さあ まだらの靴を捨てて

「ガラスの星」とは、猫の瞳のことでしょう。猫の瞳を見てガラスのように綺麗だと感じる方は多いのではないでしょうか。夜空とそれを映す猫の瞳は関連づけられて考えられることもあるようです。今「僕」が離れることで、側で君を見つめる瞳がなくなっても、「空高く書いた文字」空を見上げて空想したこと、願ったこと、夢見たこと、それがきっと「いつか君を照らすだろう」。

「歪んだ鏡」とは魔女が魔術で使う鏡のようにも思えますね。魔女にとって都合のよい言葉を並べ決して真実を言わない鏡です。魔術と関係なくても、この鏡は歪んでいますから映るものは真実ではありません。迷わされる「歪んだ鏡」の向こうに「忘れてた道」本来の自分が進みたい道、進むべき道がある。

「まだら」とは、比喩的に”はっきりした部分とそうでない部分があること”も意味します。ここでは「君」が迷っていることが表現されています。もしかしたら、ぶち猫のことも意味しているかもしれませんね。

「歪んだ鏡」や「まだらの靴」に惑わされたり迷わされたりして本来進むべき道を忘れないで、必ず君はそこで照らされる時が来る、さあ行くよ、と励ましているようです。僕の元を離れても大丈夫だから、と。

ラララ 泣かないで

ラララ 行かなくちゃ

いつでもここにいるからね 

「僕」は本当に君に旅立って欲しいのでしょうか。一度、物理的な距離が離れると、生活や環境が大きく変わり、疎遠になってしまうことは世の常でもあります。それを覚悟してでも、大好きな「君」の目指す道を応援したい、その気持ちだけを表面に出しているように思えます。本当は離れるのは身を切るように辛いのではないかと思います。「君」もそれがわかっているので、自分の夢に向けての人生を歩むことと、そんな「僕」と離れることを、大変に迷っているのでしょう。そして、「僕」もそれがわかるから懸命に安心させようとする、お互いを想いあう若い二人の気持ちが交錯するように感じて、胸がキュッと締め付けられるような、そんな一曲でした。

 

さて、その答えがアルバム「醒めない」に収録されている「子グマ!子グマ!」に歌われていると思うのですがいかがでしょう。

「はぐれたら 二度と会えない覚悟は つらいけど 頭の片隅にいた」

未聴の方はぜひ聞いてみてくださいね。