テレビ

「テレビ」は1991年3月に発売された1stアルバム「スピッツ」に収録されました。

作詞・作曲:草野正宗、編曲:スピッツ

君のベロの上に寝そべって

世界で最後のテレビを見てた

いつもの調子だ わかってるよ

パンは嫌いだった

さびたアンテナによじ昇って

市松模様の小旗を振った

不思議な名前も似合ってるね

失くさないで ずっと

この曲は、「君」=社会主義(東)と、民主主義(西)、それから、「僕」のお話です。実際に起こった話というよりも、それについての思いを綴っている詩のように思います。

第二次世界大戦後、長い間、旧ソ連をはじめとする「東」と米国をはじめとする「西」は分断され争っていました。世界中が東と西に分かれていたような印象です。東と西の「世界で最後」とは、1989年に旧ソ連アメリカの首脳が行った「冷戦終結宣言」のことでしょう。両国ともに平和宣言を行い、東西冷戦の世の中が終わりを迎えたのです。

これをテレビで見てるというのですが、実際に見ているのか、それとも後の「アンテナ」に繋げるためなのか、とにかく、その様子を見守っています。

「君のベロの上」「いつもの調子だ わかってるよ パンは嫌いだった」

ベロ=弁舌、パン(パンがないならお菓子を食べればいいじゃない)=フランス革命による民主化、と読むと、「君の主張はいつもの調子で、民主主義(資本主義)は嫌い、それはわかっている」となりますでしょうか。

「上に寝そべる」というので、そこでリラックスしている様子です。僕は決して君を非難、批判、拒絶しているわけではない様を表しているように思います。

「アンテナ」は屋根の上に高く立ててテレビの電波を受信しますが、そこで「市松模様の小旗を振った」この旗は、レースのフィニッシュラインで振られる旗ですので、つまり、「高いところまでよじ登って終了を意味する旗を振った」。「東西冷戦が終わった」のだということがここでも高らかに歌われています。

「不思議な名前」とはおそらく「ペレストロイカ」のことではないかと思いました。旧ソ連内の社会主義の失敗による民主化に向けた運動の名前です。「失くさないで ずっと」とありますので、「ずっとこのまま平和に向かって」という意味に聞こえます。

マントの怪人 叫ぶ夜 耳ふさいでたら

春の風によじれた 君と僕と君と

プラハの春」を始めとする、東欧の民主化への動き「東欧革命」から、冷戦の世の中はよじれ始めました。この「春」とは「プラハの春」を意味しているのだと思います。「プラハの春」とは、チェコスロバキアで起こった民主化革命運動が旧ソ連プラハへの侵攻で弾圧された事件です。これにより、旧ソ連は非難を受けることになります。

東欧革命により社会主義体制は揺らぎ始め、完全に分断されていた東西は「よじれ」、「冷戦終結」へと向かっていきます。

(「僕」は日本人ですので、民主主義に近いのかもしれませんね。ねじれた僕と君はそういう意味で使っているのかもしれません)

「マントの怪人」とは何でしょうか。私は、社会主義による支配を叫ぶ者、民主化への革命を叫ぶ者、両者を指しているように思いました。耳をふさいでいるのは争いに対してだと考えます。

去年の秋に君が描いた

油絵もどきを壁に飾った

カボチャとナスは仲良しか

それもいいや だって

「カボチャとナスは仲良しか」これは武者小路実篤の「仲良きことは美しき哉」から来ていると思われます。

武者小路実篤は「理想的社会主義」の思想を持っていました。失敗に終わった社会主義ではなく、社会主義の良い面を理想的に叶えようとした思想です。社会主義は思想として決して非難されるものではなく、皆が平和に平等に共生する社会を目指しているのです(ただし叶えるのは非常に難しい思想です)。

それが、最初に僕が君を非難、批判、拒絶していない理由なのだと思います。

間違っていたのは思想そのものではなく、その方法や人間の愚かさ故なのです。

ですから、「それもいいや」と僕は歌っています。

マントの怪人 叫ぶ夜 耳ふさいでたら

春の風によじれた 君と僕と君と

「だって」の後、プラハの春の歌詞に続きます。「理想的社会主義」であるならば弾圧は起こらないはずなのですから。

小舟に乗って 暗闇の外へ

忍者のように そっと近づいて

「小舟」に乗って「暗闇」の外へそっと出たのは、「ボートピープル」と呼ばれる「ベトナム戦争の難民」でしょう。

ベトナム戦争とは、東西冷戦時代の南北ベトナムの統治をめぐる戦争で、南はアメリカ、北は旧ソ連の支援を受けていましたので、東西の代理戦争とも言えるそうです。

この戦争は、1955年から1975年までという長い間続き、多くの死者を出しました。

結果、北が勝利、そして、南から圧制から逃れるためにたくさんの人々がボートに乗って国外脱出し難民となりました。国外脱出は人知れず行わなければなりません。それで「忍者のように」と表現しています。

東西冷戦時代の非常に悲しい歴史です。

ブリキのバケツに水をくんで

おなかの大きなママは思った

まぶたを開けてもいいのかな

かまわないさ どうだ

出産を間近に控えた「ママ」はバケツに水を汲んで子供を生む準備をしながら「まぶたを開けてもいいのかな」と思います。

これは、これから生まれてくる子供にこの世界を見せても大丈夫だろうか、この世の中に生まれてきて大丈夫だろうか、ということでしょう。これは世の中に我が子を生み出す母親共通の不安かもしれませんね。

プラハの春が起こった1968年はちょうどマサムネさんの生まれた年です。「かまわないさ どうだ」とは、それから冷戦終結へ向かい、アメリカとソ連はそれぞれ平和宣言をしますので、「大丈夫、今まさに平和に向かっているだろう」と過去の自分を身ごもっているママに安心を伝えているようにも思えます。

マントの怪人 叫ぶ夜 耳ふさいでたら

春の風によじれた 君と僕と君と 

冷戦が終結しても、皆さんご存じの通り、様々な問題は残り、また大きな戦争や国際問題が起こり、この世界は決して平和とは言えません。しかし、冷戦終結宣言は、当時、大きな世界平和への第一歩だと誰もが考えたのです。それほどに大きな衝撃的な出来事でした。それを、若いマサムネさんの感性で歌詞にした、そのように私は読みました。

  

※国際情勢に疎いので、記述内容に誤りがあるかもしれませんが、どうぞ了承ください。またご指摘いただけますとありがたく思います。

※これは私個人の考えであり、草野正宗氏の主義思想等について述べたものではないことをお断りしておきます。