死神の岬へ

「死神の岬へ」は1991年3月に発売された1stアルバム「スピッツ」に収録されました。

作詞:草野正宗、作曲:三輪徹也、編曲:スピッツ

愛と希望に満たされて 誰もかもすごく疲れた

そしてここにいる二人は 穴の底で息だけしていた

古くてタイヤもすりへった 小さな車ででかけた

死神が遊ぶ岬を 目指して日が昇る頃でかけた

この曲は、制作当時の日本経済について歌ったものだと思っています。

景気動向指数上は1986.12~1991.2まで、国民の実感としては1987.10~1992.2までの、現在「バブル経済」「平成景気」などと呼ばれているものです。

実体のない好景気で、あわのように消えてしまうことからこのように呼ばれますが、当時はまだこれがバブルだと気がついている一般の人は少なかったかもしれません。

また、戦後復興を経て、1973年から日本は安定成長期に入りましたから、その経済成長も含んでいる可能性もあります。

「愛と希望に満たされて」とは、この好景気そのものでしょう。誰もが豊かになり、成長は止まることなく進み、今後もこれが続いていくだろうと思っていました。

「誰もかもすごく疲れた」その反面、猛烈に働き、浮足立ち、派手にふるまい、土地神話から土地を買い求め、株価の高騰から値動きを追い...という慌ただしい世の中だったと思います。

「ここにいる二人」はそんな世相に疲れ切ってしまったのでしょうか、「穴の底で息だけしていた」と、穴の中に逃げ込んでいる様子です。

「古くてタイヤもすり減った小さな車」疲れた二人を表しているようにも思える、当時の好景気とは正反対に感じられる車で「死神の遊ぶ岬」に夜明けに出かけていきます。

二人で積み上げて 二人で壊したら

朝日に溶かされて 蒼白い素顔があらわれた

「積み上げて」「壊した」のは、先ほどの 「愛と希望」でしょう。

それが取り除かれたら「蒼白い素顔」つまり実体が見えてきました。

決して良いものではなさそうですね。

ひやかすつもりはないけど にやけた顔で蹴散らした

死神が遊ぶ岬で やせこけた鳥達に会おうか

「二人で積み上げ」た絶頂期にいた頃、「死神」の忠告も聞かずに調子に乗って「やせこけた鳥達」を「にやけた顔で蹴散らした」と当時の自分たちの傲慢さを表しているようです。

二人で積み上げて 二人で壊したら

朝日に溶かされて 蒼白い素顔が現れた 

そこで二人は見た

風に揺れる稲穂を見た

朽ち果てた廃屋を見た

いくつもの抜け道を見た

実体が表れた時、「豊かに実る作物という人間本来の基本」「土地神話から買い求めた家屋が不況から維持できなくなり廃屋と化したもの」そして「いくつもの抜け道」が見えた。

二人で積み上げて 二人で壊したら

朝日に溶かされて 蒼白い素顔があらわれた

そこで二人は見た

風に揺れる稲穂を見た

朽ち果てた廃屋を見た

いくつもの抜け道を見た

年老いたノラ犬を見た

ガードレールのキズを見た

消えていく街灯を見た

いくつもの抜け道を見た

さらに、 「家屋が維持できなくなり、さらなる不況で住む家を失った老人」「ハイスピードな好景気に乗っていたために、コントロールが効かなくなったことによる事故」「明るい道案内を失い、手探りの暗闇へと続く未来」そして「いくつもの抜け道」が見えた。

 

「いくつもの抜け道」とは、そうならないための「抜け道」、抜け出す手立てです。

当時、まだ好景気の中にいた日本でこのような歌詞を書いたのは、繰り返されるバブル経済と恐慌についての知識と洞察があったのでしょう。今のこの経済が長く続くわけがないと知っていた、そして、その後に何が訪れるかを知っていた。

そこで、実体のない好景気に沸く世の中への呼びかけの曲を作ったのかもしれません。

この曲の通り、その後バブルは崩壊し、土地や株価は暴落、深刻な不況となり、歌詞にあることがそのまま起こりました。

これは神秘的現象としての予言などではなく、教養と冷静な観察による予見と言えると思います。

 

後に迎える、ミリオンヒットを出した後の所謂「スピッツバブル」にも浮かれず、しっかりと地に足を着け、未来を見据えて冷静に音楽街道を進んで行くスピッツの姿はこの曲の頃からすでに表れていたというのが大変興味深く、また一ファンとしてとてもありがたく思います。