月に帰る

「月に帰る」は1991年3月に発売された1stアルバム「スピッツ」に収録されました。

作詞:草野正宗、作曲:三輪徹也、編曲:スピッツ

真赤な月が呼ぶ 僕が生まれたところさ

どこだろう

黄色い月が呼ぶ 君が生まれたところさ

湿った木箱の中で

めぐり逢えたみたいだね

今日の日 愉快に過ぎていく

もうさよならだよ 君のことは忘れない

月は皆さんもご存じの通り、昇ってきたばかりの頃は赤く、その後は夜空を進みながら、オレンジ、黄色と変化し、空の真上あたりで白くなり、また黄色、オレンジ、最後にまた赤くなり、地平へと沈んでいきます。

歌詞には、「真赤な月」「黄色い月」とあるので、時間が進んでいることがわかります。

また、タイトルは「月に帰る」で、そこは「僕が生まれたところ」としていながら「どこだろう」と場所はわからない様子なのが不思議です。そしてそこは「君が生まれたところ」ともしています。

続く歌詞は、「(まるで)湿った木箱の中でめぐり逢えたみたいだね(それゆえに)今日の日(は)愉快に過ぎていく」とするとわかりやすいでしょうか。

「湿気を木箱が吸ってくれたので愉快」ならば、湿気とはつまり「涙」であると思われます。

本当は木箱を湿らすくらいにとめどなく涙が流れるような悲しい気持ちでめぐり逢えたのに、木箱がその涙を吸ってくれたから楽しく過ごせる。

それにしても「めぐり逢えた」のにすでに「木箱を湿らすくらいに涙がとめどなく流れるような悲しい気持ち」なのは不思議ですね。

「今日の日」という表現から何か特別な一日であり、先ほど月が昇っていく様子が表現されていたように時間は進んでいて、そして「もうさよならだよ 君のことは忘れない」とこの日はまもなく終わりを迎えるようです。

ここまでの歌詞は不思議がいっぱいですが、続いて読んで行きたいと思います。

真赤な月が呼ぶ 誰も知らない遠くで

光っている

黄色い月が呼ぶ 誰も知らない遠くで

ほどけた 裸の糸で

めぐり逢えたみたいだね

今日の日 綺麗に過ぎていく

もうさよならだよ 君のことは忘れない

今度は、月は「誰も知らない遠くで光っている」と言っています。夜空の月は誰もがその場所を知っていますから、どうやら「月」というのは概念で、実際の月そのものではなさそうです。

続く歌詞は、先ほどの補足をまた当てはめると「(まるで)ほどけた裸の糸でめぐり逢えたみたいだね(それゆえに)今日の日(は)綺麗に過ぎていく」となります。

糸がもつれる、こんがらがるとは人間関係に複雑なもつれが生じた時にも使いますが、ここではそれに加えて、二人をつなぐ糸がもつれなくほどけていてすぐにお互いを探しあてられたという意味でもあるのでしょう、また、「裸の糸」とあるのは、上にコーティングなどがなく裸の状態で、つまり、わだかまりのない素直な心でいられるので、なんの問題もなく穏やかに美しく時間が流れていく、ということを表現しているのでしょう。

そして、また「もうさよならだよ 君のことは忘れない」とあります。

 

全て読み終えて、私は以下のように考えました。

 

「月」とは、概念であり、どこかはわからず、誰も知らないところであり、空から呼ばれるところであり、これから僕が君とさよならをして行くところである、加えて、木箱を湿らすような大きな悲しみがあることから、「天上の死後の世界」だと考えました。

僕は亡くなって、今日の日は地上で過ごすことができる、そして、生きている君に、死後の自分として初めて会いに行きます。

それで「めぐり会えた」という言葉を使っているように思いました。

二人で、悲しみを忘れて素直な心で楽しい時間を過ごしますが、月が沈む頃には、もう僕は死後の世界に行かなくてはいけません。

けれど、そこは「僕が生まれたところ」であると同時に「君が生まれたところ」でもあるから、君もいつか同じ場所に行くのだよ、僕は君のことは忘れないのだから、またそこに来た時には会えるよ。

だから、悲しまないで…

  

スピッツ」の三曲目に収録されている「ビー玉」が残された者の気持ちを歌ったものであるならば、「月に帰る」は先立つ者の気持ちを歌った曲であるように感じました。残された者の希望であると言ってもいいのかもしれません。

そして、どちらも大きな愛と優しさにあふれた歌詞であると思いました。

 

皆さんはいかがでしたでしょうか。