ビー玉

「ビー玉」は1991年3月発売の1stアルバム「スピッツ」に収録されました。

作詞・作曲:草野正宗 編曲:スピッツ

おまえの最期を見てやる

柔らかい毛布にくるまって

ゆっくりうかんだら 涙の星になった

どうせパチンとひび割れて

みんな夢のように消え去って

ずっと深い闇が広がって行くんだよ

タマシイころがせ

チィパ チィパ チィパチィパ

タマシイころがせ 虹がかかるころに

俺は狂っていたのかな

空色のナイフを手に持って

真赤な血の海をとび越えて来たんだよ

タマシイころがせ

チィパ チィパ チィパチィパ

タマシイころがせ オケラも鳴いていた

青字:「お前の最期を見てやる」が「涙の星になった」で、実際に亡くなる瞬間は涙が溢れて光ってしまい見られなかったことを対にして表現しています。

下線:童謡「手のひらを太陽に」からのオマージュかと思われます。この童謡の中で「みんな生きている」と歌われる動物の内、「オケラ」と「スズメ」(チィパはスズメの鳴き声です)を出し、「真っ赤に流れる僕の血潮」という歌詞から「真っ赤な血の海」を用いています。全て「生きる」ことを表す表現として使われています。

赤字:「柔らかい毛布」「ゆっくり浮かぶ」と「空色のナイフ」「飛び越えて来た」が対になっています。反対の意味の言葉を用いることで、どちらの様子も強調しています。生きるということは、鋭く勢いがよいことだが、亡くなるということは、柔らかく、ゆっくり静かであることだと。

また、「空(くう)」は仏教用語で実体のないことです。初期仏教が目指す、執着・欲望を断ち切り、業を捨て、輪廻転生の世界から脱出することを表しているのかもしれません。初期仏教では「輪廻転生」は苦しみです。「空色のナイフを手に持って」とは輪廻転生からの脱出を目的に、必死に今生を生きてきた、ということかもしれません。

紫字:赤字の後半部分のように、輪廻転生からの脱出を目指し、必死で勢いよく生きてきたが、実際に「業」を捨てて亡くなったら、それら一切が何もなくなり闇となり、無となってしまう。実際の人の死に際して、そのむなしさを感じ、それならば、輪廻転生する(他のものに生き返る)方がいい、と思ったのかもしれません。

追記:「闇」とは、空(クウ)を目指した先にあるもの、涅槃のことであると思います。苦しみである輪廻の外側へ脱出して行き着く喜びも悲しみもない絶対的静寂の世界。そこに到達することを初期仏教では目指していますが、実際の死を前にした悲しみに「俺は狂っていたのかな」とその虚しさを歌っているようです。

緑字:「輪廻転生」して、この世に生まれ変わることを望んでいる表現です。

橙字:「虹の橋」を渡ると人はあの世へ行ってしまいますので、その前に、「輪廻転生」してほしい、つまり、生き返って欲しいと望む気持ちが表現されています。

 

以上、「ビー玉」は歌詞が複雑なので、色分けして記してみました。

 

おそらくマサムネさんは「輪廻転生」についての知識をお持ちで、初期仏教においては、それは苦行であること、そこから抜け出し、もう他のものに生き返らないことが目的であることをご存じだと思います。

その知識と、実際に人の死に際して感じるあまりの悲しみと虚しさを対比させることで、その悲しみ、虚しさ強める手法を使われているのではないかと感じました。

 

非常によく練られた歌詞で、私の説明で伝わるかどうか不安ですが、本当に素晴らしいと感じています。