夢じゃない

「夢じゃない」は1993年9月に発売された4thアルバム「Crispy!」に収録されました。

作詞・作曲:草野正宗、編曲:笹路正徳スピッツ

*最後にこの曲について思うことをさらに書き加えました。

暖かい場所を探し泳いでた

最後の離島で

君を見つめていた 君を見つめていた

ここでわかるのは、非常な寒さを感じていることと、いくつもの離島を渡ってきたことです。

暖かい場所を求めてまた離島を探していたところ、「君」に出会いました。

そしてこの離島が最後になりました。

「離島」という単語を使っている理由の一つは、自分と離れていることを表す表現としてのように思います。

つまり、「離島=他人」です。

他人によって得られる暖かさを求めています。

同じリズムで揺れてたブランコで

あくびしそうな

君を見つめていた 君を見つめていた

「ブランコ」はいかにも島にありそうにも思えますが、「同じリズムで揺れてた」ということですから、ここでは男女が性的に結合した際の動きを表しているのでしょう。

続いてあくびについて。

男女とも性的興奮が高まった際にホルモンが分泌され、そして肌が触れ合うとそこから出るホルモンの分泌量が増えます。

面白いことに、それはあくびを出す神経と同じなのだそうです。

ですから、あくびは性的興奮が高まっている時にも出ると言われています。

ここで確実にそのような意味で使われているかはわかりませんが、興味深いですね。

夢じゃない 孤りじゃない 君がそばにいる限り

いびつな力で 守りたい どこまでも

そして、もう孤りではない、夢のようだ、と喜びを歌います。

先ほどの「離島」が他人を表していたことがここまででわかるのではないでしょうか。

暖かさは他人との結合によってもたらされるものでした。

しかし、最後の離島である「君」とは、今までとは違いもう孤独ではないと思えるほどのものでした。

そして、この状態を、「いびつな力」で守っていきたいと歌います。

ただ、他の離島と、最後の離島は何が違うのか、どうしてもう孤りではないと思えるのか。

それが次に出てきます。

丘に登ったら いつか見た景色

季節の魔法で

君にうもれていた 君にうもれていた

「丘」も島にありそうですが、ここでは恥丘のことを言っているのだと思います。

先ほど「離島」という単語を使った一つ目の理由を書きましたが、二つ目の理由は、「ブランコ」や「丘」といったような比喩表現をするためでしょう。

恥丘の上から見れば、そこには「いつか見た景色」ほかの離島でも同じようなものを見た、なのに、今回は違う、なぜか。

それは「季節の魔法」にかかったから。

つまり、寒い冬から暖かな春になった、「恋をした」ということでしょう。

だから、状況は同じでも、「うもれていた」、というように心から夢中になれて、一時的な暖かさではなく、もう孤りではないと思えるのです。

そう考えると、「君を見つめていた」という表現は、ただ、肉体的な満足を得るだけではなく、非常に精神的な満足を得られていることがうかがえるように思います。

夢じゃない 孤りじゃない 君がそばにいる限り

いびつな力で 守りたい どこまでも

暖かい場所を探し泳いでた

最後の離島で

君を見つめていた 君を見つめていた

夢じゃない 孤りじゃない 君がそばにいる限り

汚れない獣には 戻れない世界でも

夢じゃない 孤りじゃない 君がそばにいる限り

いびつな力で 守りたい どこまでも

「いびつな力」「汚れない獣」とは、けがれを知らない子供のように純粋で真っすぐ、というわけにはいかない、それは性的な結合を知ってしまったからということもあるでしょう。

人は誰でも孤独なものですが、一時的にでも他人と交わることでそれを忘れられる。

しかし、それを知っていても、なお、この幸せな夢のような状態をいつまでも守っていきたいと思えるほど、信じられるほどの出来事が君への恋とそれに伴う融合でした。

 

「夢じゃない」からは、大人と子供のはざまのような、どこか危なっかしいような、けれど誰にも覚えがあるような、そんな感情を感じとることが出来ました。

それと同時に人間の抱える孤独の大きさと、交わることでそれを忘れることができる神秘的な面、そしてそれが恋という感情が含まれることで幸せまで昇華する不思議、について思いを巡らせました。

夢じゃない

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  • provided courtesy of iTunes
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